患者管理のための新しい武器


−DNA指紋分析−


結核研究所・所長 森 亨


 集団発生対策は低蔓延化での結核対策の眼目の一つです。その発生の焦点はこれまでは多く学校でしたが、結核の「感染を受けていない年齢が徐々に高くなっていくにつれて事業所や施設にまで広がりつつあります。 同時に範囲のはっきりしない集団、対人接触関係の中での感染の伝播、それと(米国で問題になっているHIVほどではないにせよ) 成人でいろいろな免疫抑制要因をもった人が巻き込まれる、といった問題も起こりやすくなっています。このような事態に効果的、 確実に対応するためには、感染経路・感染源の把握が重要です。
 

RFLP分析         
 従来結核の分野では、このような「捜査」はもっぱら状況証拠、つまり接触関係やその時間的な条件などに頼って推定するほかありませんでした。 原理的には結核菌の薬剤耐性パターンやバクテリオファージ型などによって菌を分類することはできないこともなかったのですが、 きわめて大ざっぱなもので、とても菌株の「個体鑑別」などは望めませんでした。これを可能にし、まさに結核菌の指紋を採るとでも言えるくらいのものがDNA指紋法 (正しくはRFLP分析)です。
 結核菌のDNAのひもの上にはある特定の配列がいろいろな部位にみられることが知られました。この配列はどんな機能をしているのか分かりませんが、 とにかく菌株によって出現部位や個数が違い、しかもその菌株の分裂増殖によって変化しないことも分かりました。 ちょうど人間の指紋のように、一生通して変わらず、人によって個々に違うというようなわけで、菌株の個体の「目印」として使えるではないか、 というわけです。実際には培養した菌のかたまりからDNAを抽出し、化学的な処理を行ってこの配列のイメージを写真のような縞模様(バンド) として描き出します。この縞模様は菌株によってバンドの個数とその位置が異なります。バンドの本数は1本から25本までです (例外的にはバンドが皆無のこともある)。バンド本数が2〜3本以下の場合には、その位置も限定されますので個体の鑑別は困難ですが、 幸い日本人からの菌では10本以上のことが多いようです。
 さて、この技術は1990年前後にオランダで開発され、各国で結核対策に応用されるようになりました。日本では結核研究所の第一研究部阿部部長、 同細菌学科高橋科長らが早くからこれを手がけ、内外の菌についての知見の蓄積が行われています。昨年からは国際共同研究事業として米国スタンフォード大学のグループと共同で研究をしています。 その実績に基づいてDNA指紋法が結核の疫学にどのように応用できるかをみてみます(「分子疫学」と呼ぶことがあります)。
 

DNA指紋の応用の可能性

@ この技術は、まず同一感染源の確認・否定の根拠を与えます。ある耳鼻科医院の患者15人が中耳結核と診断され、また医師が肺結核になりました。 患者たちの耳から得た菌と医師の痰からの菌のDNA指紋は全部一致し、中高年患者を巻き込んだこの診療所での「接種結核」が証明されました。 またいくつかの精神病院で続発する結核患者から得た菌株のDNA指紋はそれぞれ異なっていたことから、患者は同一感染源からの集団感染ではなく、 複数の独立の患者が偶然同時に発病したと考えられました。
A 大都会で結核を発病したいわゆるホームレスの人々19人から得た菌を調べたところ2人、2人、3人という群で同じDNA指紋の菌が検出され、 それぞれ同じサウナで起こった感染によるものと判断されました。一見無関係と思われた人々の間の接触・感染の関係がこの技術によって浮き彫りにされたことになります。
B 米国の話ですが、HIV陽性の結核患者の治療中、あるとき何人かの患者があいついで薬剤耐性の菌を排菌し始めました。その耐性の菌株のDNA指紋は、 それぞれの患者の治療開始時の株と違っており、また数人にわたり同一のパターンでした。つまりこれらの患者では治療中別の菌株で再感染 (しかも集団的に)が起こったことになり、HIV陽性でのごく特殊な結核の病理像が示されました。
C 治療終了し経過観察中の患者が、X線所見の変化もなしにポロリと少数個の菌を出し、再発かと迷うことがあります。このような患者の治療前の菌と今回の微量排菌とを比較したら、 大多数が別個の菌でした。つまり後の排菌は検査室内の汚染(検査過程で混入した菌が培養されてしまった)によると考えられました。
D 国際協力に従事していた医師が発病しました。彼の菌株は日本では1本バンドでした。このパターンはアジア、アフリカに多いのですが、 彼はかつてイエメンで結核対策に従事していましたので、そこで感染し、帰国後発病したものと考えられます。 このように国や地域に独特のバンド・パターンが存在することが徐々に明らかにされつつあります。その方向での研究が進められれば「日本の結核菌の由来は?」 というような議論もできるようになると期待されます。また結核菌の進化についても検討が行われています(例:牛型菌が祖先に近いとか)。
 

地域結核菌指紋分析計画

 このように、患者管理・接触者対応のためにDNA指紋法は非常に強力な武器となると期待されます。沖縄県では結核研究所と協力して、 本年4月から県下で発生するすべて(できる限り)の患者の菌についてこの分析を行い、患者管理の質的向上を目指しています。 同様のことはオランダ、オーストラリアでは全国規模で、米国ではサンフランシスコなどいくつかの市や州で行われています。
 菌検出技術や治療の進歩などと並行してこのようなテクノロジーが適切に応用され、結核管理が向上し、結核病学の理解が深まることを、 私は文字通り胸をわくわくさせながら期待しています。
 

 細菌学科でもレクチャーとして

  「結核菌挿入断片IS6110をプローブとした結核の分子疫学」を紹介しています。


Updated 98/03/20