中東に、世界中に広がるDOTSの輪

世界保健機関中東地中海地域事務局 結核対策医務官 清田 明宏

 

 今、結核が面白い。すごい勢いで結核の世界が変わっている。 最近訪問したイエメンやシリアで、6月に開催した中東結核会議で、その変革を目の当たりにした。涙が出るぐらい感動した場面もあった。 今回はその変革の根底にある結核対策の世界戦略(DOTS)を中心にその感動をお伝えする。

原点、そして出発点 
 話は二年前、私と上司が赴任したばかりの1995年7月にさかのぼる。中東23カ国の結核対策課長がカイロに集合した。お互い初顔合わせである。上司と私は緊張しながら、深刻な結核の状況と早急なDOTS実行の必要性を要請した。しかし、反応は鈍く、筋違いの質問・意見が続出した。がっかりした。それが始まりであった。

DOTSとは? 
 DOTSとは、結核対策の基本を確実に実施する戦略だ。要は、患者の服薬を毎日確認し、それを記録報告することだ。

 DOTS以前は、治癒率が発見した患者の五割前後の国が多かった。これでは、逆に患者が慢性化し、患者数が増加してしまう。DOTSは現在、治癒率を上げる唯一の方法である。その効果は驚異的で、例えば中国では十万人以上の患者が発見され、DOTSによりその九割以上が治っている。

中近東23カ国で 
 人づくりが最初の課題であった。二十三カ国全ての結核対策課長を再研修した。その間に各国を訪問し、関係者とDOTS実行を協議した。月の半分が出張となり、上司と二カ月間すれ違いになったりした。結核対策用の資料をアラビア語へ翻訳・出版も行った。そうこうしている内に流れが変わってきた。

イエメンで
 イエメン南部のある都市の結核対策課長は本当に頼りなかった。彼は日本で研修を受けたが、その時覚えた日本語が「ムズカシイデス」であった。それも無理はない。彼は業務用の公用車を上司に取られ、活動予算もなく、あるのは薬と彼の二本の足だけであった。
 彼は、その二本の足で動き回った。日本の技術指導でDOTSに感銘した彼は、自宅に近い保健所でまずDOTSを実行した。そして徐々に他の保健所を巻き込んで行った。公用車はなく、タクシー・バスを利用しての巡回指導、これはイエメンでは極めて異例である。
 今彼は塗抹陰性化率88%、治癒率76%を誇るDOTSのリーダーだ。DOTS以前はそれぞれ6割、5割だから、目覚ましい進歩である。公用車も取り返し、彼の顔は実に逞しい。私は彼を尊敬する。

シリアで 
 地中海沿岸のある都市の結核対策課長は混乱していた。公衆衛生専門の彼女は大学や他の胸部専門医から、日々攻撃されていた。治癒率は五割前後、解決の糸口もなく、日々が過ぎて行った。
 彼女を変えたのは、シリア厚生省の結核対策課長である。「猪突猛進型」の厚生省課長に説得されたのである。彼女は言う。「DOTSを初めて聞いた時は、患者に毎日診療所に来させるなんてとんでもないと思った。ところが、DOTS実施後、患者が実際に通院し、症状がどんどん改善していくのを見て、感動してしまった。」
 彼女は今、塗抹陰性化率九割を誇る。彼女の大事なコレクションは彼女が治療した患者の写真だ。それを説明する彼女の顔がにじんで見えたのは、「DOTS以外に結核対策はない」と断言する彼女の熱気に当てられた為だったろうか。

中東結核会議で
 第二回目の中東結核会議が今年六月チュニジアで開かれた。参加者は2年前とほぼ同じ結核対策課長達だ。ほとんどがすでに顔なじみである。今回、彼等は必死だった。すでに3カ国(ジブチ、モロッコ、オマーン)がDOTSを全国的に実施し、展開中の国がイエメン・シリアを含めて十カ国近く出てきたからだ。
 会議は2000年までに中東地域でDOTSを実施する事に合意し、各国が活動計画を作成した。2年前とはえらい違いである。その夜、チュニジア名物のシュクシューカを食しながら、感動に浸った。

そして、日本から
 DOTSは有効です。そして、その感動は非常に感染性です。結核予防婦人会*の皆様、日本の結核研究所の協力で素晴らしい成果を挙げているイエメンのDOTSを見て、その感動に触れ、その輪を広げていきませんか?

 

 

<< 注 >>

DOTSとは「直接監視下短期化学療法」の英語の省略形である。
ここでは元気よく『ドッツ』と言っていただきたい。

*この記事は、全国結核予防婦人会だより「健康の輪」に寄稿されたものである。

 


Updated 97/12/25