老人施設における結核集団感染対策
最近の事例から見た課題

山形県村山保健所長   阿彦 忠之

結核再興の象徴
 1998年夏、老人ホームと刑務所における結核集団感染のニュースが相次いで報道された。わが国の結核罹患率が戦後初めて上昇に転じた年でもあり、「結核再興」を象徴する事件であった。
 94年以降に厚生省へ報告された集団感染事例を発生場所別にみると、件数が最も多いのは学校関係であるが、集団感染1件当たりの患者数(発病者数)は幸いにして少ない。 学校関係では、初発患者以外に発病者がなく感染者(予防内服の対象)だけという事例も多い。 これに対して、病院・施設(老人ホームや刑務所を含む)では、集団感染の件数が増加しているだけでなく、 患者数の多さが際立っている。1件当たりの患者数は平均8人にのぼる(図)。 最近の病院・施設には、結核の診断が大幅に遅れてしまう環境、感染が拡大しやすい環境、あるいは感染者が発病しやすい諸条件が 潜在していると言わざるをえない。そこで平成11年10月、厚生省の積極的結核疫学調査緊急研究班 (主任研究者−森亨)を中心に「結核院内(施設内)感染予防の手引き」が作成され、これを参考に病院では結核に関する職員研修や 感染予防策を講ずるところが増えてきた。しかし、老人施設では介護保険の準備で大忙しであり、 結核に関する具体的な対策はこれからという所が多い。 そこで本稿では、老人施設における結核集団感染対策の課題と解決策について、最近の事例を紹介しながら 考察する。

集団感染1件当たりの患者・感染者数

老人施設では「協力病院」の役割が大きい
 94年から95年にかけて、X県の老人ホームで結核集団感染が発生した。 その概要は次のとおりである。ただし、本事例については、関連学会誌等での公表資料がないので、 98年7月及び8月当時の新聞記事を参考にした。


〈事例1〉 発端患者は、特別養護老人ホームの入所者(80歳代、女性)。 93年頃から咳などの症状があり、施設の協力病院であるA病院にかかっていた。94年12月から翌年1月 まで「肺炎」としてA病院に入院。入院中に一般細菌やメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)の検査は 行われていたが、結核菌の検査は一度も実施されていなかった。退院後は施設で療養していたが、 症状が次第に悪化。95年4月になって別の病院で受診し、肺結核症(喀痰塗抹陽性)と診断された。
 同施設の入所者、職員及び患者家族などを対象に、保健所が定期外検診を実施した結果、 新たに結核患者26人が発見された。その大部分は入所者で、結核以外に様々な合併症があったことも影響して、 死亡者が初発患者を含めて14人に上った。

 この事例では、老人ホームの協力病院の関わり方と診断の遅れが大きな問題とされた。 A病院は当時、診療報酬不正請求で保険医療機関の取り消し処分が決定し、院内は混乱を極めていた。 病院が施設に協力できる診療環境でなかったという意味で、特殊な事例かもしれない。しかしながら、 筆者が山形県の特別養護老人ホームと老人保健施設のサービス評価事業で施設の実地調査に関わった経験では、 結核に対しては協力病院の姿勢も忌避的なところが多い。老人施設入所前の結核のチェック(結核の侵入を 水際で防ぐ対策)には熱心だが、入所後の結核発病を想定した対策は非常に手薄である。
 本年4月から介護保険制度が始まり、施設入所が措置制から自由契約制に変わったため、 施設サービスの質の評価と情報公開が求められている。質的評価の尺度については各方面で検討されているが、 感染症予防対策も重要な尺度の一つである。入所時の感染症のチェックはもちろん大切であるが、 入所中に高齢者が結核やインフルェンザなどの感染症にかかった場合でも、これを早期に診断し適切に対応してくれる老人ホームは、 質の高い施設として利用者から選ばれるであろう。老人施設が協力病院と契約するにあたっては、 結核などの感染症の診療機能についても考慮すべき時代が来たのである。


定期検診は重要でも過信は禁物!
 施設入所者の結核を早期発見する方策として、「定期検診」の重要性が強調されている。しかし、 年1回の検診が施設における結核集団感染の防止に本当に有効なのかどうか。有効だとすれば、どのような 検診方法(胸部X線検査、喀痰検査など)が最も効果的で効率的なのか。集団感染を予防するための他の方策と比較しても、 優先度の高い方法なのかどうか。これらを検証するための研究は、まだ十分に行われていない。
 ところで、結核定期検診による患者発見率は、極めて低くなっている。厚生省の97年度地域保健事業報告によれば、 市町村長が行う住民検診(19歳以上)からの結核患者発見率は受診者1万人当たり1.5人で、10年前のちょうど半分に低下している。 事業所検診では(60歳以上の受診者が少ないので)発見率がさらに低く、受診者1万人当たり0.7人に過ぎない。老人施設の入所者は、 年齢的に結核罹患率が高い集団なので、住民検診よりも発見効率は良いと思われる。しかし、年1回の検診が他の方策に比べて 「集団感染」の防止に効果的かどうかは疑問である。肺結核には「急速進展例」がかなり存在することがわかっており、 1年ごとの検診ですべての患者を早期に発見するのは理論的にみて不可能だからである。
 行政の援助による検診が施設側に安心感を与えてしまい、各施設の主体的な予防対策の動機づけを妨げることも考えられる。 現時点では定期検診の効果を過信せず、別の方法(有症時の喀痰検査の徹底など)も提案しながら、 保健所は各施設が主体的に取り組めるような、効果的な集団感染防止策を指導すべきである。


結核菌検査をもっと重視しよう!

 わが国では結核の診断方法として、伝統的に胸部X線検査が重視されてきた。しかし、結核の有病率の低下に伴い、 X線検査で結核を疑われても、それが本当に結核である割合、すなわち「陽性的中度」は必然的に低下している。 これに関連して、筆者が山形県で実施した調査の結果を以下に紹介する。
 調査対象は、山形県の94年の肺結核新登録患者289人全員、登録から1年後、調査票を各対象者の主治医あてに送付し、 登録時の診断を再評価してもらう方法で調査した。結果は、初回治療者の約2割、再治療例の6割が他疾患等 (活動性肺結核とは言えない)と評価された。「他疾患等」と評価された者の内訳は、新登録時も不活動性だったと考えられる者が4分の1、 非結核性抗酸菌陽性例が4分の1、悪性腫瘍が10%、肺炎・塵肺その他が4分の1という結果だった。 特に再治療例では、X線検査所見が優先され、結核菌検査が軽視されている実態をよく反映した結果であった。
 老人施設では、胸部X線写真に古い硬化巣などを認める入所者が多く、1枚の写真だけで肺結核の診断をした場合の 診断精度は、かなり低くなると推定される。過去のX線写真との比較読影ができれば、診断精度の向上が期待できるので、 入所時や定期検診のX線写真の保管が望まれる。それと共に、結核は「慢性の肺病」ではなく「感染症」なので、 肺結核の正確な診断及び感染性の有無の評価には、喀痰検査(結核菌検査)が必須である。 保健所は老人施設や協力病院に対して結核菌検査の重要性をもっと強調し、X線偏重ではなく結核菌検査をバランスよく組み合わせた 診断方法が地域に定着するように、研修や広報を充実すべきである。
  ここで参考として、老人施設における結核菌検査重視の対応事例を紹介する。


〈事例2〉Y県の特別養護老人ホームで98年7月の1カ月間に、連続して5人の結核患者(表を参照)の届け出があった。 患者5人の特徴と施設の療養環境の特徴を列記すると、次のとおりであった。

老人ホームにおける塗抹陽性患者の同時多発事例

 @他の施設に比べて要介護度の高い入所者が多かった。A同室の3人(患者A,D,E)は、寝たきり状態で経管栄養だった。 B5人とも体重減少が顕著だった(4人は20%以上の減少)。C喀痰検査が徹底された(たとえば患者Eは、7月21日の塗抹検査は陰性だったが、 7月27日から3日連続検痰を実施しG2号)。
 塗抹陽性例の同時多発ということで、保健所では集団感染を疑い、すぐに対策委員会を設置して定期外検診などを実施した。 その結果、入所者の中から菌陽性例がさらに1人発見されたが、同定検査の結果、非結核性抗酸菌と判明した。 その後の調査で、届け出例5人のうち2人(D,E)の菌も、非結核性抗酸菌と判明した。残る3人の菌は結核菌であったが、 菌株のRFLP分析ではそれぞれ別パターンであった。つまり本例は、特定の患者を感染源とした結核の集団感染事件ではなく、 偶然の同時多発事例と判明した。
 我々の保健所でも、管内の精神病院や施設に対して咳が続く入所者等への3日連続検痰を勧めるようになってから、 「塗抹は3回とも陰性だったが、培養でコロニーが少数検出された。どうしたらよいか」という相談を受けることが多くなった。 このような培養陽性例の約半数は、この事例と同様に「非結核性抗酸菌」であった。有症時の喀痰検査を徹底すると、 結核菌以外の陽性例でも施設側をハラハラさせてしまう面はあるが、結核の診断の遅れを防止する効果が大きいことを実感している。
 また、この事例では、施設職員が入所者の健康状態を的確に把握し記録していたことが、 喀痰検査の指示につながったといってよい。特に、大幅な体重減少は、患者に共通する症状として注目された。 老人施設では咳などの症状だけでなく、体温、体重、食欲などの健康状態の変化に注目するという当たり前の対応が実は忘れられやすいので、 施設職員への啓発が必要であろう。
 以上のほか、老人施設では寝たきり者の痰の吸引処置がしばしばあるので、移動式の吸引器やネブライザーなどの医療機器の使用方法にも留意すべきである。 吸引器のカテーテルをその場で完全に消毒することは困難なので、入所者ごとに交換すること。 これも当たり前の対応であるが、現場での再徹底を求めてほしい点である。


Updated 00/07/13