第77回日本結核病学会総会

会長講演「社会と結核」

講演・執筆
結核研究所長
森 亨


 結核が他の病気にまさって社会と密接につながった病気であることは,時代を問わず(少なくとも近世以降は),洋の東西を問わず広く受け入れられている。ベトナムには公衆衛生上「社会病」という病気のカテゴリーがあり,結核はその中心的存在である(この概念は資本主義国にこそあっていいはずだが,ベトナムだという点が何となく面白い)。

社会病としての結核

 どうしてこのような認識が広まっているのだろうか。まず,結核はどの国においても産業革命や都市化といった大きな社会変革と共に消長する病気であった,ということがある。その中で慢性疾患として,また最流行時には生産年齢人口を襲う病気として,社会経済的なインパクトが大きい病気という意味もあったことであろう。日本の戦前の「亡国病」というネーミングからは,この問題に対する為政者のいらだちすら感じられる。
 また,不潔な生活環境が感染の機会を大きくし,乏しい栄養や厳しい労働条件が発病リスクを大きくし,臨床経過を悪化させる,また,化学療法の時代には医療費負担に耐えられない,といったことから「貧乏病」としての性格が社会と結核の結び付けを強めている,というむきもある。
 少なくとも私よりも前の時代に結核屋になられた先生方の中には,結核のこのような性格に興味を持ち,問題意識を刺激された方が少なくないはずである。結核が基本的に「治せない」病気だった時代の医師は,結核と結びついている「社会」の方にいやでも対峙させられることが多かったのだからなおさらである。「治せる」ようになったといってもまだその力が十分でなかったころも,そうだったと思う。公衆衛生対策の面でも然り,1953年の第1回結核実態調査の調査項目には,世帯別収入や耕作面積といった社会経済要因が含まれていた(1987年以来の電算化結核サーベイランス事業では,患者の職業すらまともに調べにくくなっている)。

結核不平等としての結核

 それでは比較的簡単に病気が「治せる」ようになり,またそれを支える下部組織も整った現在では結核は社会病ではなくなったか。「ノー」,新たな状況が浮上してきた。それは1つの見方からは健康をめぐる「不平等」と要約できるかも知れない。
 結核を含めた健康の不平等の最たるものが「南北格差」,つまり先進国と途上国の間の隔たりであろう。世界の結核発生の95%,結核死亡の98%が途上国(人口は70%)に集中していることからも明らかである。「治せる」結核に対するこの不平等の原因は?これまでの議論では,人口爆発(結核にもろい思春期人口が増えた),都市化,HIV流行などが挙げられているが,基本的な原因は「有効な結核対策が行われなかった」つまり「治そうとしなかった」と総括されている。そしてその最重要の関連要因(原因であり,結果でもある)が「貧困」だ,というのが,今年の世界結核デーの統一標語(Stop TB, Fight poverty ,ストップ結核で貧困を無くそう)の背景であった。グローバルにみた途上国の結核問題を貧困だけに帰するのは少し図式的に過ぎるし,先進国の貧困問題とはまた違う見方が必要だが,いずれにせよこれは現代の社会病としての結核の1つの重大な側面を象徴している。

世界の貧困対策としての結核対策

 また同じ認識から,途上国の感染症(エイズ,マラリア,結核)の対策に先進国が積極的にコミットしようというアナン国連事務総長の呼びかけに応えて,エイズ・結核・マラリア対策世界基金(Global fund to fight AIDS,Tuberculosis Malaria,〈GFATM〉,URL:http://www.globalfundatm.org )が昨年旗揚げし,本年から本格的な活動に入った。これは先進国の官民の資金を大動員(年間何十億円の単位)し,これらの病気の対策に資金援助をしようというもので,既に第1回の配分が始まりつつある。これに先立ち日本政府は,一昨年九州沖縄G8サミットで,感染症(上記3 疾患のほか寄生虫症を含む)対策に対して5年間で3000億円の拠出を公約した。このように結核社会(貧困)病論は,いまや具体的な世界の健康対策の基本原理となっていることは間違いない。なお,ネットフォーラム(Stop-TB Forum ,URL:http://www.hdnet.org )では,世界結核デー前後から「結核と貧困」をテーマとした討論が行われている。

先進国での階級間格差

 もう1つ,「健康不平等」は少しミクロに,古典的には「階級間格差」といわれるもので,最近の私たちの言い方では社会経済弱者,健康管理の機会に恵まれない人々の結核問題である。その極端な例がホームレスであり,これは欧米でも日本でも際立って高い罹患率,致命率を見せている。またそれほどではないが,零細企業従業者,生活保護世帯,外国人労働者,建設現場の労働者などにも見られる問題である。「治せる」病気がどうしてここに吹きだまったのか。やはりここでも「貧困」が重要な役割を演じており,その点では途上国や女工哀史の時代の日本と共通のものもあるが,どぎつい「不平等」であるという点で決定的に異なる。たとえばホームレスの結核罹患率は,日本でも一般人口の50倍,欧米では100倍にもなる。その原因について,結核と同様に階級間の健康格差をより一般的に調べた英国のBlack Report は,@ 格差見せかけ論,A社会的・自然淘汰論,B 唯物論的説明,C文化的・行動的説明,などを掲げて議論し,最も確実な説明としてAを指摘している。つまり,問題は自然抵抗力の弱い人は社会的にも成功しにくいとか,不衛生な生活習慣の人は収入の高い職業には就けないとか,ではなく,貧困が結核に導く機序があるはずだということである。
一見常識的だが,きちんと科学的に説明されているわけではない。疫学的な観察はいろいろあるものの生物学,特に分子のレベルで説明がなされているのはこのメカニズムのほんの一部でしかない。とくに栄養やストレスが結核の感染,発病,進展にどのように働くのか,新しい免疫学や病理学,また遺伝学による説明をぜひとも聞きたい。

医療体制崩壊と結核増加

 結核がいかに社会病か,について貧困や貧困にかかる不平等の面から述べたが,近年見られたもう1つの社会病ぶりは,旧社会主義諸国での結核の増加に見ることができる。旧ソ連邦の多くの国々(ロシア,エストニアなど),ルーマニア,ハンガリーなどでは1990年以後の体制崩壊の後,数年を経ずして結核逆転に見舞われた。貧富格差の増幅とそれまでの医療サービスの混迷が原因とされるが,私には特に後者の影響が印象的だった。これらの多くの国で特に薬剤耐性結核が増加したことも,この印象をさらに深めた。


updated 02/10/18