ニューヨークのDOT
―大阪市への応用を目指して―


大阪市環境保健局感染症対策室長
大阪市立総合医療センター感染症センター部長 阪上賀洋


 平成11年11月28日〜12月5日、結核予防会主催の第1回先進国結核対策スタディーツアーに参加させていただいた。周知のように大阪市の結核罹患率は全国一であり、これを改善するために東京都に倣ってDOT方式(対面服薬と訳されている)の採用を決定し、出発前には既に少数例ながらも実施し始めていた。米国の結核患者はHIV感染率が高く、言葉の通じにくい外国人やホームレスも多いなど多々問題があるにもかかわらず、ニューヨーク市では1993年頃から本格的にDOT方式を採用して結核患者を激減させることに成功しており、この具体的な方策を学ぶことが今回の参加の最大の目的であった。DOTの詳細についてはニューヨーク市結核対策局が「結核対策マニュアル」をインターネットで公開しているし、文献からも知識を得てはいたが、現場を見学すれば何か得るものがあるであろう、と考えた次第である。

DOT実施施設の訪問

 DOTには施設内で行うものと患者宅への訪問形式のものがあるが、旧ベルビュー病院建物内にある市内最大のホームレス用シェルターでのDOTは、施設内で実施されていた。患者は痰の塗抹検査で結核菌が3回陰性になればDOTの対象になる。シェルターでは1部屋3〜4人で生活し、3食と抗結核薬が支給されていた。服薬をすると栄養剤などのインセンティブ(動機付けのための報償品)が与えられる。週1回は医師がシェルターに来て患者記録をチェックし、月1回は診察がある。

 ワシントンハイツ胸部クリニックでのDOTは、ベルビュー病院で治療を受けて結核菌が陰性化した患者が対象であるが、ここでは所内DOTと、患者宅またはシェルターを訪問して行うDOTを実施していた。ただ、精神科的あるいは麻薬中毒などの問題のあるような患者、ホームレス患者などには施設内DOTを選ぶのがよい、ということであった。インセンティブとしては必要に応じて地下鉄の切符、レストランのクーポン券などが使われているという。

旧ベルビュー病院建物内にあるホームレスシェルター。厳重にプライバシーが保護されており、施設内は撮影禁止だった。

 

コホート解析検討会

 訪問第2日にはブルックリン地区のコホート解析の検討会に参加した。参加者はこの地区を担当するアウトリーチワーカー(以下、ワーカー)たち40名程度で、自分の担当地域での患者管理状況を報告するものである。具体的には接触者検診実施状況、予防内服すべき者の数と実際の内服者率、発症者については治療すべき者の数と治療完了者数、脱落者数、脱落理由、脱落者のうち他州移住者数とその後の治療経過などを報告する。これら一々についてニューヨーク市結核対策局フジワラ局長が論評する。その後、結核対策局の職員がワーカーから報告された成績をその場で刻々とコンピュータに入力し、報告終了と同時にそのまとめがスライドで参加者に提示された。これをフジワラ局長が論評しながら、結核対策局の達成すべき目標と達成できた成果を提示する。狙いは問題意識の共有であろう。

ブルックリン地区のコホート解析検討会。アウトリーチワーカーから、徹底した患者管理状況報告がなされていた。



 結核を10年で最低限半減するという、大阪市にとっての大目標を達成するには、職員全員の認識をそろえることが最も大切であることは分かっていた。しかし、今回見学できたような、現場のワーカーから職員数740名以上を擁する結核対策局の最高責任者まで全員(ただしその地区の関係者)が参加している場で問題意識を共有することの重要性は、見せられてみれば感慨一入であった。その場の高揚した雰囲気は部外者である私にも伝染し、まるで自分も結核対策局の一員であるような感慨を覚えた。

ハーレム病院国立結核センター

 このあとはハーレム病院国立結核センターを訪問した。この施設はハーレム地域(人口約10万人)の結核治療施設で、CDCが資金を出しており、ニューヨーク市衛生局、コロンビア大学、ハーレム病院などが共同運営しているという。結核外来のほか、Dr. Asadr を中心として各種の結核研修教材の開発もしているという。資料の一部を分けていただいたが、そのいずれもが平易に結核を理解させようとするものであった。米国では結核に関するパンフレット類が大変に多く、しかも多数の外国語版があるのにも感心した。この施設での結核治療成績は93年以前が11%、現在は95%以上だという。

DOT現場視察

 翌日はニュージャージー州のニュージャージー医科大学(これも全米で三つある国立結核センターの一つを兼ねている)を訪問した。会議室ではちょうどDOTの症例検討会が進行中であり、そのあとはDOTの現場を4班に分かれて見学した。

 私どもの班はこの職を既に8年経験しているベテランの Jimi Newton という大男のワーカーが、自分の車で案内してくれた。役所の車を使うと患者が訪問を断ることもあるという。また、自分の車で行く時でも患者宅から少し離れた所に駐車するように心掛けているという。訪問先は黒人の女性患者たった1人で、既に訪問の了解を得てくれており、室内で彼女が1日分の薬12錠を一気に飲むところを写真に撮らせてくれた。

 Jimi の担当患者数は現在8名、多い時で15名。本日会わせてくれた以外の患者には既に今朝6時に服薬させてしまったこと、担当患者の1人はホームレスでいつも同じ街角で会って服薬してもらうこと、毎日患者に会って話をすることが患者に結核の重要性を繰り返し伝える機会になっていること、患者に対して偉そうな態度をとるのはご法度で、あくまで友として、兄弟として、場合によっては親として接することが大事であることなどを強調した。DOT対象患者には朝7時から夜7時まで働いている人も多く、そのような場合には朝6時に行くか、夜8時に行くという方法でともかくその日のうちには患者に会うのが彼の仕事だという。またDOTの現場では、患者は「俺は立派な大人だから薬ぐらいは自分で飲める。放っておいてくれ」というようなことをよく言うが、この場合には「結核とはどういうものか」から始めて根気よく説明するしかないこと、また、患者が「自分を信用できない人間だと思うから、目の前で薬を飲むかどうかを確認するんだろう」などという時には「あなたがお医者さんであっても結核患者であれば同じことをするんですよ」というと納得してくれるんだと言っていた。それにしてもDOTの問題点の一つとして、DOT終了間近になると、患者が治療を終了したくないために服薬を怠ける場合があるのだそうで、DOTワーカーとの日々の触れ合いの果している役割が分かる。

DOTワーカーの Jimi (中央)と筆者(左)

DOTの精神を学んで

 今回のツアーで、当初の目的であったDOTの実際について、少数例ながらその現場を見学でき、DOTワーカーたちから実際的な問題点、注意点、その解決法を学ぶことができた。DOTワーカーは結核については研修で相当深い知識を学ぶらしいが、DOTの精神は、一言でいえば常に患者のために、患者中心に考え行動する、ということであろう。平成11年2月にフジワラ局長が大阪で講演された際に「うちの職員には患者はお客だと思え、と教育している」と話していたことを思い出す。ニュージャージーでは、施設DOTに来所しにくい患者には往復の車による搬送の便をも提供している、ということからもその精神が伺える。

 今回のツアーはびっしりと中身の詰まったもので、それだけに大変勉強になり、しかも実際の行政にすぐにでも採用できるものが多かった。これらを一つずつでも大阪市の結核対策に取り上げて、改善を進めたいと考えている。

 


Updated 00/05/23