誰も書かなかった結核対策

清田 明宏 世界保健機関(WHO)
東地中海地域事務局
結核対策医務官
エジプトアレキサントリア在住

 結核は今、人類史上最悪の流行を見せています。年間八百万人が結核に罹り、二百万人が死亡しています。何故でしょうか?今回は、普段あまり語られない結核対策上の問題を述べながら、この点を追求します。

結核対策には”短期”化学療法は実は存在しない
現在我々が使用している”短期”化学療法は非常に強力です。患者の九割五部以上を治す事が理論上は可能です。でも、実はこれは”短期”ではありません。ご存知のように最低六ヶ月は必要な療法です。我々の一般常識では六ヶ月かかるものを”短期”とは言いません。野球の試合を考えてみて下さい。”短期”決戦といって、六ヶ月間も続けて試合をしていたら、皆怒ってしまいませんか?以前の療法が二年以上の期間を必要としたので、比較の意味で”短期”と言っているので、実は”長期”化学療法です。あなたは、最低六ヶ月も続けて薬が飲めますか?

結核患者さんは毎日、非常に大量の薬を飲まないといけない
 この”短期”化学療法では患者さんは大量の薬を飲まなければなりません。現在最も”短期”な六ヶ月の療法では、リファンピシン、ヒドラジド、エタンブトール、ピラジナミドの四種類の薬をまず二ヶ月間、次いでリファンピシンとヒドラジドを残りの四ヶ月間飲みます。これが大変です。一日の服薬量は成人でリファンピシンが三錠、ヒドラジドが四錠、エタンブトールが三錠、それに粉末のピラジナミドを飲むので、最初の二ヶ月間は毎日十錠と粉末を飲む計算になります(表)。この量は日本でもほぼ同じです。これにビタミン剤、咳止め、胃薬等が加われば一日の服薬量は相当なものになります。あなたは、毎日こんなに多くの薬が飲めますか?

患者さんは療法から脱落するのが普通だ
 ここで自分が結核になったと考えて下さい。当初は咳があり、体もだるいです。一日十錠以上も一生懸命飲みます。しかし、数週間もすると咳はなくなり、体調も元に戻ります。食欲も普通です。でも、まだ一日十錠以上飲まなければなりません。療法はまだ数ヶ月以上もあります。あなたならどうしますか?私なら、もう良いやと思い、薬を飲むのをサボるでしょうし、最悪、治癒から脱落するでしょう。”だらしない”と思われるかもしれませんが、ある意味ではこれは”当たり前”ではないでしょうか?あなたは、六ヶ月以上も大量の薬を毎日飲めますか?

下手な療法は、しないほうがまし
 さて、この様な現実では、結核対策上何が起るか考えてみましょう。結核の自然史、つまり無治療で経過を観察した場合、五年間で患者の五割が死亡し、三割は自然に治ります。残りの二割は慢性例として菌を出し続けます(慢性排菌)。結核対策上は、この慢性排菌が問題で、これを如何に減らすかが勝負ともいえます。現在の”短期”化療は理論上は患者の九割五分以上を治す事が可能です。慢性排菌例がほぼ零に近くなり、感染源が社会からなくなります。ところが、先に述べた理由等で多くの患者が治療から脱落すると、恐るべき事が起ります。結論から言えば慢性排菌例が増えるのです。患者の六割が治り、一割が死亡し(不完全な療法でも死亡率は減ります)、残りの三割が慢性排菌例になります。これは治療なしよりもひどい状態です(図)。結核の感染源が社会により多く発生する事になり、結核患者は増えていきます。これが現在世界で起っているのです。低い治癒率しかもたらさない”下手”な療法は、しないほうがまし、ともいえます。あなたの地域では結核患者の何割が治っていますか?

さて、どうするか?
 この様な結核対策上の現実に基づき、世界保健機関はDOTS(直接監視下の短期化学療法)を推奨しています。DOTSの最も重要な点は、患者さんが六ヶ月以上毎日大量の薬を飲むのを助ける事を目的に、患者さんの服薬を毎日医療従事者が直接確認する事にあります。患者さんは担当看護婦さんの面前で毎日の薬を全て飲みます。それにより脱落が防がれ、より多くの患者さんが治っていきます。その有効性は明らかで、DOTS以前は六割前後だった患者の治癒率が8割から九割に改善した国がたくさんあります。今、我々は東地中海地域の国々で西暦二千年までにDOTSを全国で実施しようという”DOTS・オール・オーバー”を目標に、日々活動を続けています。


Updated 99/03/18