新たな結核予防制度に向けて


●新結核予防法案を読む●

結核研究所長
  森  亨
結核予防法の一部を改正する法律案について(骨子)
T.改正の目的 
 結核の予防に関する知見の蓄積,患者の特性の変化といった結核対策を取り巻く状況の変化を踏まえ,定期健康診断及び定期外健康診断の効率的・効果的な実施及びツベルクリン反応検査の廃止・BCG直接接種の実施のための見直し等を行い,結核対策の効率化・重点化を図る。
U.改正案の内容
1. 結核の予防・早期発見のための対策の充実強化
@定期健康診断,定期外健康診断の対象者,方法等の見直し
  定期健康診断の対象者・実施時期を見直し,高齢者など発病しやすい者や医療従事者など二次感染を起こしやすい者に重点的な健康診断を実施するとともに,定期外健康診断について接触者調査を中心としたリスク評価に基づくきめ細かな措置を講ずる。
Aツ反の廃止・直接BCG接種の実施等
 若年者罹患率の低下,ツ反偽陽性者のBCG接種機会の喪失等の弊害,直接BCG接種の安全性についての科学的知見の蓄積等を踏まえ,ツ反を廃止し,BCGの直接接種を行う。
2. 直接服薬確認療法(DOTS)の推進
@保健所によるDOTSの実施  
 保健所の保健師等が行う結核患者等に対する家庭訪問指導として,処方された薬剤の確実な服用等を指導するものとする。
A主治医によるDOTSの実施  
  医師は,結核患者を診療したときは,患者に対し処方した薬剤の確実な服用その他治療上必要な指示を行わなければならない。
3. 国及び地方公共団体等の責務
 国,地方公共団体,医師等及び国民の責務規定を整備する。
4. 国及び都道府県の結核対策に係る計画の策定
 国及び都道府県の取組み方針を明確にするため,国及び地方公共団体は,それぞれ結核対策に関する指針・計画を策定することとする。
5. 結核診査協議会の見直し
 結核診査協議会について,委員の構成要件等について見直しを行う。
V.施行期日
平成17年4月1日


 去る3月4日,結核予防法改正案が閣議で了承され,法案は現在開かれている通常国会で審議されることになった。いうまでもなく,この法案は2002年に出された厚生科学審議会の答申(結核対策の包括的見直しに関する提言)を法制度化しようとするもので,成立すれば結核予防法にとって1961年の施行以来50年ぶりの大改正となる(ただし,一部治療に関する点については審議会での議論が十分でない部分があり,これについては審議会の中に小委員会を設けてさらに議論を尽くしてから次年度法制化する予定となっている)。多くの改正点に関して,その具体的な実施策については,政令・省令などに委ねられるところが少なくない。その意味で新制度の内容は未確定の部分が残っているが,以下,大筋において審議会の議論がどのように新たな制度に採り入れられようとしているのかを吟味する。(骨子は表のとおり。以下本文中青字で引用する条文は一部表現を簡略化してある。正確には厚生労働省ホームページ(www. mhlw.go.jp/topics/bukyoku/soumu/houritu/159.html)などを参照のこと。)

無差別健診から選択的健診へ
 第四条:労働安全衛生法に規定する事業者、学校の長又は矯正施設その他の施設で政令で定めるものの長は、それぞれの当該事業者の行う事業において業務に従事する者、当該学校の学生、生徒若しくは児童又は当該施設に収容されている者(小学校就学の始期に達しない者を除く)であって政令で定めるものに対して、政令で定める定期において、期日又は期間を指定して、定期の健康診断を行わなければならない。
3:市町村長は、その管轄する区域内に居住する者のうち、第一項の健康診断の対象者以外の者であって政令で定めるものに対して、政令で定める定期において、保健所長の指示を受け期日又は期間を指定して、定期の健康診断を行わなければならない。

法案で改められているのは下線部が新たに挿入されたことである。少し分かりにくいが,従来の定期健診では政令で定める時期として健診を受ける者の年齢を制限してきたものを,今回は明確に「政令で定めるもの」として対象の条件を規定している。これによって健診の対象年齢はもちろん,結核リスクに応じて対象を定めることができるようになった。その内容は政令で定めるが,「提言」ではハイリスク集団として中高齢者,長期収容施設(老人施設や精神病院)に収容されている人々,特定地域(結核高まん延など)の居住者,それにホームレスや外国人労働者など,またデインジャー職種として医療従事者や教育関係職員などを掲げている。中高齢者としてはこれまでの肺がん健診の対象となる40歳以上にするのか,また「提言」で述べられている「節目時」(入学時,就職時など)をどのようにとらえるのか,さらにその他の「リスク集団」の規定に関して,政令に委ねられる部分は極めて重い。同様に,見方によってはこれまで第五条で規定してきた定期外健診の対象者(業態者,まん延地区)が包含されるようになっており,その場合健診の実施主体が都道府県から,事業者・市町村長に移ったことにもなる。

強化される接触者健診
第五条:都道府県知事は、結核の予防上特に必要があると認めるときは、結核にかかっていると疑うに足りる正当な理由のある者に対し結核にかかっているかどうかに関する医師の健康診断を受け、又はその保護者に対し結核にかかっていると疑うに足りる正当な理由のある者に健康診断を受けさせるべきことを勧告することができる。
2:都道府県知事は、前項の規定による勧告を受けた者が当該勧告に従わないときは、当該結核にかかっていると疑うに足りる正当な理由のある者について、当該職員に健康診断を行わせることができる。

 これまでの定期外健診は,ハイリスク者(患者接触者など),デインジャー職種(業態者),高まん延集団・地域を対象として臨時の健診を行うとし,対象者には受診義務を課していた(罰則付き)。法案ではこれを全面的に書き換え,対象をハイリスク個人(通常,患者接触者つまり,ある患者に結核を感染させた,あるいはその患者から感染を受けたおそれのある者と理解される)に限定した上で,強制力をもって実施することとしている。強制力の持たせ方は感染症法と同様に,まず対象者に健診を受けるよう勧告をし,これに従わない場合には強制的に「受けさせる」といったやり方となる。対象者(「結核にかかっていると疑うに足りる正当な理由のある者」)や実施の技術的基準については従来同様省令で定められる。
このように接触者健診に関して行政が強い姿勢で臨むようになったことで,行政の責任がそれだけ大きくなったと言える。とくに同居者に限定しない,職業上あるいは広く交友関係など社会的活動の中での接触者に対する健診の推進についての取り組みについてそれが言える。
 この規定には従来と違って違反者に対する罰則規定はない。しかし最終的には強制力を持つことを前提に,保健所職員は自信を持って勧告を出し,受診するように関係者を説得することが期待される。

予防接種におけるツベルクリン反応検査の廃止
第十三条:市町村長は、その管轄する区域内に居住する小学校就学の始期に達しない者に対して、政令で定める定期において、保健所長の指示を受け期日又は期間を指定して、定期の予防接種を行わなければならない。
(旧)
第十三条4:市町村長は、その管轄する区域内に居住する小学校就学の始期に達しない者に対して、政令で定める定期において、保健所長の指示を受け期日又は期間を指定して、ツベルクリン反応検査を行い、かつ、その反応が陰性である者に対して、定期の予防接種を行わなければならない。

 先に「提言」を受けて実施に移された小中学校でのBCG再接種の廃止に伴って,唯一残った乳幼児期の接種の確保は大きい課題だが,そのためにやはり「提言」で打ち出されたのが,早期接種の推進,そのために接種に伴って行われるツベルクリン反応検査の省略である。これがこのような形で法制化されることとなる。
 これまでBCG接種はツベルクリン反応検査を行い,結果が陰性の者に限定して行ってきたが,これは,BCG接種は陰性(結核未感染)の者においてしか効果が期待できず,また陽性者に接種すると強い副反応のおそれがあったからである。同時にツベルクリン反応検査によって感染の診断ができ,それに対する適切な予防的措置が可能になるからであった。しかし,同時にこの検査はかなりの「偽の陽性」を回避できず,そのために再検査が求められ,本来不要な精密検査や場合によっては治療のような負担が乳幼児・保護者にかけられていたのである。また,恐れられていた既感染者への接種による反応もそれほどのものでないことが多くの国々の試行や実践で明らかになっていることから,若年者に限りツベルクリン反応検査をしない「直接接種法」が提言されたのである。
 ただし,少数とはいえ接種時期に既に結核に感染している者はあり(推定で1歳児百万人対300人くらい),それらに対しては精密検査や化学予防の機会が失われ,やや強い局所の反応を起こすことになる。このような不利益を小さくするために,また本来の目的に沿うためにも,直接接種は早期接種に限定する必要がある。法案では接種時期は政令で定めるとしているが,このようなことから接種は1歳に達するまで,というのが非公式ながらおおかたの議論である。(仮に上限が「1歳に達するまで」となった場合には,現時点で1歳を過ぎた未接種者に対して経過的な措置をとる必要が当然出てこよう。)
 既感染者に対する接種の不利益をできるだけ小さくするためには接種に先立つ問診(感染機会の確認),接種後異常反応への対応が必要であり,これらについては,筆者は技術的な指針が必要と考える。
 現在乳幼児期に接種される子どもの約85%が0歳児期に受けている。これを100%にするのは容易なことではない。また定期の接種に漏れた者を救済する方途はいままでのところ具体的には議論されていない。したがって,集団接種の機会が年1,2度ということも少なくない規模の小さい町村では,個別接種の導入などで接種率の確保に努めなければならない。結核のリスクの高い環境の乳幼児が,定期接種のような行政サービスからえてして漏れやすいことを考えると,接種率の確保という市町村の課題はますます重い。
 なお,接種技術の確保も重要であるが,法案では具体的には触れられていない。

日本版DOTSの推進に向けて
第二十五条:保健所長は、結核登録票に登録されている者について、結核の予防又は医療上必要があると認めるときは、保健師又はその他の職員をして、その者の家庭を訪問させ、処方された薬剤を確実に服用することその他必要な指導を行わせるものとする。
第二十六条:医師は、結核患者を診療したときは、本人又はその保護者若しくは厳にその患者を看護する者に対して、処方した薬剤を確実に服用することその他厚生労働省令で定める患者の治療に必要な事項及び消毒その他厚生労働省令で定める伝染防止に必要な事項を指示しなければならない。
 治療については先に触れたように,命令入所や従業禁止,あるいは医療費の公費負担といった対応などにからんで,さらに議論を必要とする部分が今回の改正からとり残されているが,それ以外の一般的な質の高い結核治療の推進,つまり21世紀型日本版DOTS戦略に関してはこのような形での,従来からの結核治療に関する姿勢から一歩進んだ公的な態度の表明が行われている。つまり結核の規則的な治療の完遂は単に主治医と患者の間の関係だけに任されるものではなく,公的責任のなかで行われることを,具体的に(下線部が新たに挿入された文言である)「薬剤の確実な服用」のための指導や指示として,保健所長と医師の責務としているのである。表現は控えめであるが,意義は極めて大きい。
 なお,第二十六条に「その他厚生労働省令で定める患者の治療に必要な事項」については,現時点では抗結核薬の規則的な服用以外にはなにも想定されていないが,今後新たな技術が開発され,新たな事態が展開される可能性に備えて用意された文言と考える。
 日本版DOTSに関してこのような行政の姿勢が言明される一方で,あたかも「治療拒否」のような行動をとる患者があることに関して,DOTSの強制力などが取りざたされることがあるが,日本版DOTSはあくまでも患者支援・教育を主眼とするものであり,強制や罰則にはなじまない。しかし患者の行動が明らかに感染源として公衆に危険を及ぼすものであれば,従来の従業禁止や命令入所のような措置の対象となり,これらの措置を従来よりももっと実行力あるものにすることを次の法改正の課題としていることは,先に述べたとおりである。

患者への措置の診査を弾力的に
第四十八条:都道府県知事の諮問に応じ、第二十八条及び第二十九条の命令並びに第三十四条第一項の申請に関する必要な事項を審議させるため、各保健所に結核の診査に関する協議会を置く。
第四十九条:協議会は、委員三人以上で組織する。
2:委員は、結核の予防又は結核患者の医療に関する事業に従事する者及び医療以外の学識経験を有する者のうちから、都道府県知事が任命する。ただし、その過半数は、医師のうちから任命しなければならない

少し分かりにくいが,まず「結核診査協議会」の名称を法律で定めることを止め,相当の機能を持つ協議組織を都道府県が持てばいいこととした。これは,地方自治の原則の中でこのような組織に関する地方公共団体の判断を尊重する考えからきたものとされる。同時に従来「5人」でなければならないとしていた委員の数を「3人以上」とするほか,その他運営に関し必要な事項についても従来の政令でなく条例で定めることとした。
 また委員の要件として,医療以外の学識経験を有する者を含めることとしているが,これはこの協議会が,従業禁止命令や入所命令に関する判断を行うことから,患者の人権に十分な配慮をするためである。これは感染症法でも入院勧告の際などの「感染症の審査に関する協議会」において人権尊重の観点から医療以外の学識経験者を委員とすることと同様である。従来委員になっていた保健所医師等の関係行政庁の職員は委員から除外されている。
 日本版DOTSの推進上,地域の結核医療の専門家によるこの協議組織はますます重要である。改正案の意図通り,この協議会が地域の実情に合わせて効果的に運営されることが望まれるところである。

地方結核対策計画の立案
第三条の四:都道府県は、基本指針に則して、結核の予防のための施策の実施に関する計画を定めなければならない。
 結核の疫学的状況や対策をめぐる環境は都道府県によって大きく異なる。これに鑑みて,今後の結核対策は全国共通の部分を基礎に都道府県の状況に合わせた独自のものが上乗せされて行われるように,というこれまで条文にはなかった規定である。その内容についても条文第2項以下に具体的に項目を掲げているが,基本は国が定める「基本指針」であり,その具体的なものは審議会などで議論が行われることになる。
 なお,感染症法でも都道府県が感染症予防のための計画を策定することになっており,結核予防法の予防計画と感染症法の予防計画を一体のものとして作成することもできることとしている(第6項)。
 都道府県予防計画の考え方については,すでに国の補助事業である「特別促進事業」で各県市が独自の対策事業を立案・実施することを行ってきたところであり,すでに相当の計画を策定している県市も少なくない。今後はその経験にたって,計画のための計画でない,実効性のあるものが策定され,実践されるよう望みたい。結核研究所は県市のそうした作業の支援を行う用意がある。

それぞれの立場での結核予防への責務
 条文は掲げないが,改正案は総則の第二条から第三条を飛躍的に拡充し,国及び地方公共団体の責務,国民の責務(新規),医師等の責務,病院・診療所・老人福祉施設・矯正施設その他の施設の開設者及び管理者(新規)の責務を,新たにあるいはより詳細に記述した。その中で,国は結核の予防の総合的な推進を図るための基本指針を定めること,これを5年ごとに見直すこと,などを謳っている。
 これは旧法に欠けていた結核予防計画に関する国の基本理念を条文の形で述べたものと見ることができるが,「生まれ変わる結核予防制度」への国の決意表明として重く受け止め,これが今後各施策に具体的に活かされるようになるよう念じたい。



updated 04/08/16