大気中浮遊粒子状物質濃度と疾患死亡率との相関


結核研究所顧問  岩井 和郎

 この報告は “ Kazuro Iwai, Shoichi Mizuno, Yooji Miyasaka, Tooru Mori: Correlation between suspended particles in the environmental air and causes of disease among inhabitants: Cross-sectional studies using the vital statistics and air pollution data in Japan. Environ. Res 2005, 99: 106-117 ” に掲載された内容にその後の知見を一部加えた要約です。

背景

 大気汚染の急性健康障害では1952年12月のロンドン・スモッグ事件が世界的に有名で、12月の大気逆転層形成により地上のSO2及び煙突からの排煙粒子の濃度が著しく高くなり、それから数日間、老人など基礎疾患ある人達の緊急入院や死亡が多数に及んだという事件である。それ以後多くの国で大気汚染と毎日死亡との関連が調べられ、当日から翌日にかけての大気汚染濃度と心肺疾患死亡数とに有意の関連が認められたとの報告が相次いだ。米国に比して虚血性心疾患死亡の少ないわが国の13大都市住民を対象にした毎日死亡についての調査でも、呼吸器疾患と心血管疾患がSPM (径10μm以下の浮遊粒子)やNO2濃度との間で有意の相関を示すのが認められた。
 この大気汚染の急性影響にたいして、慢性影響は研究方法に制約があるため報告に乏しかったが、1993年Dockeryらは大気汚染の異なる北米6都市での8千人余の住民を対象とした16年間の追跡調査の結果、大気汚染の程度と地区住民生存率低下率とがよく相関し、それは径2.5μm以下の微小粒子(PM2.5)と硫酸塩粒子の濃度と相関したがオゾンとは関係せず、死因としては心肺疾患が挙げられた。その後Pope IIIらは、米国癌予防大規模調査に登録された約50万人の追跡データから、1995年には心肺疾患が大気浮遊粒子濃度と有意の相関を示すことを報告し、2002年には追跡期間を16年まで行った成績から、心肺疾患のみならず肺癌でもPM2.5濃度と有意の相関を認め、その10μg/m3増加あたりの肺癌超過死亡を8%と計算して報告している。
 日本でも同様のことがあるのかを、環境省の大気汚染測定データと厚生労働省統計情報部の人口動態統計とを用いて、全国都道府県別・性別に浮遊粒状物質濃度と各種疾患別死亡率との関連との相関を求めた。これまでのコホート研究では心肺疾患群との関連を求めていたが、この研究では疾患単位で関連を求めることが出来た。

目的と方法

図1 全国都道府県大気中浮遊粒子濃度の分布:13大都市は丸で示した。

 一般に疫学研究の方法として、断面調査と、より分析的な前向き研究として症例・対照研究、コホート研究との3つがあるが、中でも個人データをベースにしてその追跡を行う大規模コホート研究が多くの交絡因子の影響を除外できる点で信頼度が高い。断面調査は手間と時間も少なくてすみ結果が早く出るという利点であるが、集団としての観察であり交絡因子の除外に限界があり、問題を指摘してコホート研究などの持ちこむ時に用いられる。前向き調査では対象人員を大にするのは実際上難しいのに対して、今回の死亡統計を用いた調査では、全国民が対象となるためより細かく疾患単位に分析することを可能にした。
 環境データとしては、環境省の2000年度の大気汚染状況調査報告書から全国約1,873地点(一般測定局と自動車排ガス測定局を含む)での浮遊粒子状物質年平均濃度を全国都道府県別に平均して地域での平均濃度とした。わが国では全国定点観測地点で測定されているのはSPM(10μm以下の粒子)濃度であるため、SPM とPM2.5の重量比を調べた日本の25の研究を集め、PM2.5 / SPMの比0.58 〜 0.84の平均0.7を換算係数として、SPM値から推定PM2.5値(cPM2.5値)を計算した(図1)。死亡データとしては、厚生労働省統計情報部2000年度の人口動態統計特別号・都道府県別年令調整死亡率を用い、また婚姻出生状況データから未婚既婚の率、子供の数、初産年令は年刊の人口動態統計から求めた。さらに厚生労働省の国民生活基礎調査から、2001年度の都道府県別・性別喫煙率を求めた。

結果

 死因統計で最初に掲載されている感染症の中では、慢性感染症である結核、内因性持続性感染症とも言える胃・十二指腸潰瘍(ピロリ菌感染)、肝硬変と肝癌(肝炎ウイルス感染)が何れもcPM2.5値と有意の相関を示した。疫学調査結果で最も問題となる交絡因子の関与が疑われたので、大都市偏在が周知の結核について「人口密度」と「cPM2.5」との2因子で重回帰分析を行うと、人口密度との相関のみが有意性を保持し、cPM2.5の影響は消失した。胃十二指腸潰瘍や肝硬変・肝癌でも同様の結果で、これらの慢性感染症ではいずれもcPM2.5濃度とは関連しないものと思われた。
 慢性感染症を除いた疾患の内、cPM2.5濃度と有意の相関を示した疾患を表1にまとめた。呼吸器疾患群では、肺炎、気管支喘息、慢性気管支炎・肺気腫の何れもがcPM2.5と有意の相関を示した(図2)。呼吸器疾患ではいずれも喫煙との関連が大とされているので、「cPM2.5」と「喫煙」の2因子による重回帰分析を行ったところ、cPM2.5はすべての疾患で有意性を保持したが、喫煙は肺癌に対してのみ有意性を保持し、その他の呼吸器疾患に対してはいずれにも有意性を認めなかった。






 心血管系疾患群では、虚血性心疾患の慢性例と高血圧性心疾患とがcPM2.5と有意の相関を示した(図3)。「喫煙」と「cPM2.5」の2因子重回帰分析を行ったところ、cPM2.5と喫煙の何れもがそれぞれの病態に有意の危険因子として残った。虚血性心疾患には動脈硬化が基盤にあることが多く、高血圧性心疾患も同様であるが、文献的にウサギにPM10粒子を気管内投与すると、数週後には冠動脈などの内膜肥厚、脂肪沈着が促進されたとの報告があり、大気浮遊粒子と動脈硬化との関係は今後の検討課題であると思われた。


 
 予期しなかった結果として悪性腫瘍の中では、肺癌と共に乳癌、子宮癌および卵巣癌の死亡率が何れもが大気中cPM2.5濃度と有意の相関を示した(図4)。子宮癌の中ではパピロマ・ウイルスの関連が濃厚な子宮頚癌とは相関を認めず、内分泌との関連が大きい子宮内膜(体)癌とのみに相関を示していた。これら女性癌は何れもエステローゲン過剰分泌やその生涯での分泌期間の長さと関連するといわれ、また乳癌に対してはエステローゲン拮抗剤の投与が奏効している。そこで、人口動態統計から数字が得られる「遅い第一子出産」、「少子」の因子と、これまでも関連があると言われている「喫煙」を「cPM2.5」とともに重回帰分析にかけた。その結果、これらホルモン関連因子は重回帰では僅かに有意性を残したが、外的要因の喫煙とcPM2.5は強い相関を保持していた。




 2000年度で得られた結果が、1986年および1973年度でも当てはまるか否かについての検討も行った。これら各年度では測定条件が必ずしも同一でないため、17年間の健康影響の推移を正確に知ることはできないが、乳癌と卵巣癌では3年度とも粒子状物質濃度との有意の相関を示し、子宮癌は年度とともに相関係数が次第に高くなっているのが見られた。
 有意を示した各疾患の、cPM2.5の10μg/m3増加による超過死亡率を計算し、一部の疾患では喫煙率による補正を加えた。年齢訂正・相対危険度(RR)は女性で肺癌1.10 ( 95%信頼限界1.02, 1.18 )、虚血性心疾患で1.08 ( 95%CI: 1.09, 1.26 )で, 喫煙率補正後はそれぞれ 1.04 ( 1.01, 1.10), 1.14 ( 1.09, 1.26 ) となり、米国でコホート研究から出された値に近い値であり、喫煙によるRRよりは1オーダー低いのが見られた。呼吸器各疾患、女性3癌でも1.11〜1.21の間のRR値を示した。

考察とまとめ

 今回の研究で得られた結果の内、心血管疾患に関する成績と呼吸器疾患に関するものとは、これまでの外国の報告と同様の成績であり、それを疾患単位で明らかにした点が新たに加わった所見である、しかし、血管系疾患としての脳梗塞、脳内出血、くも膜下出血および肺梗塞には有意の関連がないことも明らかにされ、むしろ動脈硬化が基盤となった心疾患が問題と思われた。呼吸器疾患では急性(肺炎、喘息)および慢性(肺気腫)疾患の何れもが有意の相関をしめしたことは、ある程度予測されたことと言える。肺癌も沿道地域を加えた今回の分析で5%以下の危険率で相関を示していた。女性3癌についての成績は予期しなかった結果で、これまで殆ど報告をみないが、浮遊粒子にはnitrophenolやnitrophenylphnolなどのエステロゲン様作用をもつ化学物質や、内分泌かく乱物質として周知のダイオキシンも微量ながら含まれており、それらの総合作用の可能性もあると思われる。
 ただ、断面調査で得られた成績については、コホート研究など他の研究方法で、人種や地域も別にして行うことが必要で、また共存するガス状成分ことにNO2の関与が検討すべき大きな問題として残されている。さらに疫学調査での結果を基礎的・実験的研究を通して確証することが必須であると思われる。


updated 05/12/22