ロンドン
スタディツアー報告

2004年6月12日〜19日
結核予防会では日本の都市における結核問題の調査研究の一環として、6月12日から19日の日程で、行政関係、公衆衛生関係大学院、NPO法人、結核予防会(結核研究所)から8名の参加を得て、イギリスの首都ロンドンへのスタディツアーを実施した。訪問先はロンドン市立大学看護学部、ロンドン胸部疾患病院、健康保全局(Health Protection Agency)、健康保全局ロンドン北東部セクター、ミドルセックス病院、聖バーソロミュー病院等で、ロンドンにおける結核対策の現状、問題点、制度、専門職の役割、NGOの役割などについて、広範な調査を行った。
本稿では参加された3人それぞれの立場からの報告を紹介する。
ツアー参加者。
執筆者は上段左から1番目・結核研究所加藤氏,
3番目・東京都前田氏,
下段左から1番目・訪問看護ステーション
コスモス武笠氏,
3番目・愛知県知多保健所船橋氏




ホームレス対策について    
訪問看護ステーションコスモス看護師
武笠 亜企子

ロンドンのホームレス
 イギリスでホームレスは単に路上生活者のみを指すのではなく、劣悪な居住空間で生活する人も含まれています。ロンドンのホームレスは、移民がほとんどを占め、単身者だけでなく家族単位のことも多いようです。また、地方から仕事を探しにきた10代・20代の若者がホームレスになることがあり、その多くは、薬物やアルコールなどの問題を抱えています。路上生活をしている人はストリートホームレスと呼ばれていますが、NGO、教会、救世軍などがホステルと呼ばれる施設を開放し、宿泊できる環境を作っているため、数的には少ないそうです。

ホームレス結核対策
 ホームレスの多く居住する地域では、ソーシャルワーカー・アウトリーチワーカーなどが活動し、アウトリーチナース・TBナースともそれぞれ連携によって役割分担しながら、サポート体制を作っていました。アウトリーチワーカーの中には、元々ホームレスだった人でワーカーとしてのトレーニングを受けた人もおり、お互い共感できる部分があるなど関係を築きやすい対策がなされています。 また、ホステルのスタッフにも結核患者のスクリーニングができるよう、結核に関する教育を行っています。イギリスの場合、医療費の自己負担なく(薬剤は別)診療を受けられることから、ホステルのスタッフが結核の疑いのある利用者を病院へつなげるという働きかけが、容易に行えるようになっています。
 薬物の問題を抱えている若者達は、狭い部屋を密集して使用するために結核に感染しやすい環境にあります。また薬物の使用を他人に口外しないために発見が遅れがちで、ソーシャルワーカーやアウトリーチワーカーなどの働きかけが重要となっています。
 結核患者の発見ができた場合には病院につながりTBナースとの関わりが始まります。結核患者は2週間の病院治療を受け、その後は住居の確保(ホステル)、生活保障を受け地域でのDOTが始まります。DOTをしている間もTBナースは治療的観点から関わり、ソーシャルサポートとしては、ソーシャルワーカーが対応します。常に様々な専門職が関わりを持ち、患者さんがよりよい社会生活が営めるような働きかけがなされていました。なお、結核患者の多くは、まだまだ働き盛りの世代であることから、治療終了後は、ほとんどの人が就労できています。

今回の視察を通して
 私自身NPOの立場でホームレスの結核に関わっておりますことから、ロンドンでの対策方法、姿勢など大変多くのことを学ぶことができました。日本でも保健所などがDOTSに取り組んでいますが、それでもホームレスの場合脱落してしまうケースが多く見られます。脱落者を出さないためにも、行政とNPOを含めホームレス支援をしている団体がそれぞれの役割を果たしながら連携し、ホームレスの結核患者を支えていく必要があると思います。
 イギリスのように様々な専門職が連携を取りながら結核患者に働きかけができるようなシステムはとても理想的だと感じました。



保健師の立場から
−Specialist TB Nurseを中心に


愛知県知多保健所保健師 
船橋香緒里

ロンドン市立大学看護学部

Specialist TB Nurse の役割
 Specialist TB Nurse(以下TBナース)は日本の保健師とは違い、肺疾患専門病院に勤務しています。結核病棟に勤務する看護師に保健所保健師の役割を加えたというところですが、次に挙げた5点を中心に活動しています。
1. 届け出と登録の確認       
2. 治療を完了するために必要と考えられる具体的支援計画
 喀痰塗抹陽性の場合、合併症が無ければ通常2〜4週間の入院期間です。日本に比し随分短い入院期間ですが、退院後どのようにケアしていくかを決めます。
 複数の問題(慢性疾患・精神疾患・ホームレス・HIVの合併等)がある場合は、各々の専門看護師がケアできるようにします。日本では複数の担当者が訪問やケアするのに時間を要しますし、誰が窓口になるか、コーディネートはどうするのか等で揉めることもありますが、イギリスではその時に最優先しなければならないことを担当している看護師が中心になるようです。
3. DOTの適用基準及び方法の決定 
 DOTは結核患者全員にするのではなく、自己管理が可能な患者については他疾患治療と同様で、方法は患者との話し合いで決めます。DOTの主な適応基準は次の7点です。
@多剤耐性結核例、Aアルコールまたは薬剤依存症例、B再治療例、C治療に対する理解が困難な例、D16歳未満の小児、E服薬継続が困難と考えられる例、F住所不定。 
 また主な方法は@毎日病院外来で投薬、ATBナースによる服薬確認、B診療所での服薬確認、C週3回の標準間歇治療法(毎日服薬するのではなく1週間分の薬を3日間で服薬)、D Community nurseによる服薬確認(出掛けることができず在宅ケアが必要な場合)、E子供や高齢者等家族が服薬確認・支援、F福祉サービス機関が行う等でした。これらの基準や方法は,部分的に日本でも導入可能と思われました。
4. 接触者健診の対象者選定や感染源の発見のために必要な情報収集
 接触者健診を実施するに向けての感染経路等の疫学調査等です。
5. 毎月1回患者の面接
 服薬管理・支援者が誰であっても、TBナースは症状の悪化・治療中断や脱落がないように、最低月1回は治療経過や患者の状態を確認し、必要に応じて検査(胸部X線や喀痰検査)を勧めます。
 以上、TBナースは結核治療・服薬支援に関するコーディネーターの中心的役割を担っていると言えるでしょう。

Specialist TB Nurse のネットワーク
 日本でも関係機関の連携は常に言われているところですが、イギリスにおいても同様です。ロンドンでは市内の結核関係者の連携を図ることを目的として、ロンドン結核グループが発足しました。最初は自主的であったこのグループも活動が認められ、国家的な予算のあるグループになったそうです。現在ではロンドンだけでなくイギリス各地にTBナースのグループがあり、その代表がまた集まってイギリス全体のネットワークになっています。ここでの役割は結核の記録票(登録票)の改善や、結核看護や対策に関する政策的な提言をしていくことだということでした。このメンバーの1人のローワン氏が、このネットワークが大変重要であり、より良い結核対策を遂行していくためには無くてはならないものだと語っていたのが印象的でした。



行政の立場から


東京都健康局医療サービス部感染症対策課医師  
前田秀雄

疫学的分析が行われている健康保全局


 日本とイギリスは、歴史的経緯から健康政策及び社会制度が大きく異なる。このため、罹患率の再上昇、都市部に偏在した罹患、エスニック(注:イギリス以外、主にアフリカ・アジアからの祖先を持つ人々)やホームレスへの患者の集中等、日本の大都市と共通点が多いにもかかわらず、ロンドンの結核対策は日本とは相反する特徴を有している。
 第一に、イギリスの保健医療政策は国民保健サービス(National Health Service; NHS)を主軸とした「国営事業」である。日本で外国人やホームレスをかかえる自治体では、その是非はともかくとして、こうした住民に対する施策は自治体の固有業務ではなく、国の責任の下に対応すべき問題だという意識が根強い。これが、生活弱者への結核対策が進展しない一つの要因となっている。このため、国家が直轄で外国人やホームレスといった、いわば国家的施策の結果生み出された生活弱者への対策を実施すれば簡潔である。ただし,生活支援、住宅斡旋等の社会サービスは自治体業務であるため、連携のための特別な仕組みが必要とされるという短所もある。
 第二に、保健事業も「医療」を中心に構築されている。地域単位に結核治療を行うNHSの診療所(TB Clinic)が配置され、地域での患者管理はTB Clinic に所属するTB ナースが担当する。これは、発見された患者を確実に治療するという低まん延国における結核対策を実施する上では、大変効率的なシステムである。一方で、疫学的な分析を行う健康保全局(Health protection Agency)はこうした結核業務の指揮命令系統にないため、疫学的分析に基づく感染拡大予防対策は,実施しにくい。
 第三に、イギリスは、社会主義的な社会サービスが整備されているが、厳然とした「階級社会」であり、健康水準にも明確な階級差がある。そして、ホームレスや移民・難民は間違いなく最下層の階級に属する。ホームレスを収容するホステルはかつて最貧民を収容した救貧院そのものであり、また、財源についての議論の中でしばしば耳にした「チャリティー」という言葉は、けたはずれの富裕層が存在することの証明である。ストリートホームレスを強制的にホステルに収容し、職業訓練を行うといった「充実」した福祉制度は、穿った見方をすれば、下層階級の容認であり、階級社会を前提とした施策とも言える。一方、日本のホームレス対策は「自主的な」自立の支援が基本であり、対応する施設も大半が臨時設置である。対策が貧弱であることは論を待たないが、ホームレスは経済の不況による一時的現象と捉え、日本は本来、階級なき平等な社会であるとの考え方に基づくものであるとも言える。
 こうした異なる保健医療システムに基づくロンドンの結核対策の特徴は日本の結核対策と裏返しの関係にあり、今後、日本の都市型結核対策を構築していく上で、大きな示唆を与えている。すなわち、政令市自治体での保健福祉の一体となった結核対策、保健所を拠点とした疫学的視点からの対策の構築、ホームレスを容認しない平等な社会の希求、といった点はむしろ日本に利がある。こうした点は生かしつつ、結核対策の国家的戦略の構築、効率的な医療資源の配置による患者中心の治療支援、生活弱者の結核患者への生活支援といったロンドンの優れた対策を昇華することが、日本の、特に大都市における結核対策の最重要の課題であり、同時に、改正予防法に基づく結核対策基本指針、都道府県結核予防計画策定の目標である。

updated 04/09/29